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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第128号       ’02−03−08★

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     取りあえず、、     

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●入試結果発表の掲示板前、

 

TVカメラが合格者に訊きます。 「でキミ、将来、何になるわけ?」

いかにも<できる子>らしい顔をした少年、「取りあえず、東大、、」

 

東大進学率の高さで聞こえた有名私立中学での取材だったから、それは

まさに学校やTV局が期待した答えだったろう。(だから放映された)

 

しかし、「取りあえず、」とは何だ?  親の口真似か、教室の流行か、

本人は気取ったつもりか知れないが、それは坊や、<考えずに>物事を

決める時の言葉だぜ。 <将来>に対して失礼なんじゃないかな?

 

<何になる>というのが<目標>なら、<東大>(で勉強する)はそれ

を達成する上での一つの<手段>。 だからキミ、それは答えになって

いないんだよ、、 と注意してやらなきゃいけないのでは? 

 

Rational Process を心得た取材者なら、ただ訊くのでなく、そんな点

も見逃さずにバッサリ、グサリ行けるのに、あれじゃただのご機嫌伺い。

適切に思い知らせ、改めさせるのがオトナの務め。 あんなのがいずれ、

<官僚>になるんだから、、

 

 

しかし見回すと、オトナたちも、しかもビジネスの場で、目標を明確に

せぬまま、「取りあえず、」で話を進めることが少なくない。 それを

ボカして、<当面の目標>と称する。 成果が挙がらなくて当然です。

 

出発点である<現在>と<将来>の目標との間を結んだ直線、<当面の

目標>がその上にあれば良いのだが、何をすべきかが決められないから、

の「取りあえず」では、<その上にある>と限らない。 もちろん、

 

即座の対処が必要な場合や深い思考を要しない事柄、あるいは選択肢が

ごく限られている場合には「取りあえず」もあり得る。 たとえば

 

飲みに行って「取りあえずビール!」、帰宅して「取りあえず風呂、」。

あなたの口癖かも知れません。 癖は無意識、思考抜き。 日常生活の

中ではよくあることだし、それでも実害は生じない。

 

けれども、<キミの将来>や<業務の新展開>などは<日常>と異なり、

大いに考えるべき場面。 そこでの「取りあえず、」は、即ち思考放棄、

あるいは知的怠慢です。 え? 明日は明日の風が、、?

 

深く考える習慣を持たぬオトナたちが「取りあえず東大」少年を生んで

いるのかも。 彼が社会に出る頃、「取りあえず」採用しよう、なんて

甘いこと言ってくれる会社が見つかるかどうか?

 

見つからなかったら、彼、フリーターにでも?  何故しているか?と

訊かれると、十中八九「取りあえず、」と答えますからね、フリーター

は。 たしかに<考えて、なる>ものじゃなさそうですが、

 

一度の人生、真剣に考えて組み立てたいものです。 それには

 

*   *

 

まず目標を明確にすること。 その大切さについては多くのアドバイス

があります。 たとえば

 

 あなたが望むような、そして可能なはずの進歩が見られないと

 したら、それは単にあなたが目標をはっきり定めていないからだ

           (ポール・J・マイヤー 能力開発研究家)

 

 目標をあくまで貫くことは、、、成功の最大の条件だ。 

 これがなければ、、、無駄なエネルギーの放出に終わる。

           (イギリスの政治家チェスタフィールド)

 

エネルギーもだが、<少年老いやすし>、過ぎた時間が取り戻せません。

無駄なことしてたら、、 と根がケチな私、金持ちならぬ<時間持ち>

隠居のくせに、時間の無駄が許せない。 その目で見ると、

 

昔は無かった面白いことや機会が今は豊富すぎる。 それで若い人々は

<目標>が定められない。 相対的には能力不足、を感じるのか、初め

から諦めてしまう。 目線の定まらないノロノロ歩き人間が多すぎます。

 

珍しく出会う<定まった>目線は、下向き。 前見て歩け、危険だよ、、

お節介な声をかけたくもあるが、それは慎み、進路を譲って、すれ違う。

不用心だな、、 と心で呟いて、思い出しましたよ。

 

昔Y県で吹雪の中を徐行運転中、前方に黒マントの歩行者を発見したが、

道幅は狭く、うかうかハンドルが切れない。 で、車を停め、こちらに

気づいてくれるのを待った。 が、彼は風や雪との戦いに懸命。

 

腰を折って低い姿勢、踏ん張りながら、顔も上げず、一歩一歩近づいて

来て、、 頭から車にドスン。 ナルホド、雪国の人生はキビシイもの

だな、と感じ入った次第でした。

 

*   *   *

 

そんな田舎を嫌って都会に出れば、そこではストレスと戦わねばならぬ。

都会の戦いには黒マントよりロジックの鎧。 どちらにしても前方注視

を怠ればドスンは必定、

 

「目標をあくまで貫くこと」など出来まい、「成功」はさらに望めまい。

何に目を注ぐか、は即ち、何を考えるか。 「目は心の窓」、目と心は

不可分です。 だから下向きではダメ、ほら、歌にもある、、

 

 ”When you walk through a storm hold your head up high,,,”

 

ムネオ・ソング? まさか! ミュージカル<回転木馬>、ハマーシュ

タイン2世作詞の名歌 You'll Never Walk Alone。 しかし困難に遭遇

したら、「取りあえず」昂然たる姿勢を保つ方が宜しいようで。

 

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●大学へ行くのは何のため?

それは大多数の人において、事実上「サラリーマンになるため」では?

 

何が<最高学府>、能力や意欲のある人にとっては、退屈で鮮度も低い

講義なんか時間の無駄。 ビル・ゲイツしかり。 古くは松下幸之助、、

 

ヘンリー・フォードも。 いわば大学を出なかった人に働かせてもらう

ための肩書きですな、<大卒>は。 その人の傾向やレベルをやや示す

だけのもの。 入社するや先輩に「学んだことはすべて忘れてしまえ」

と言われるくらい、<専攻>は重んじられないし、実際役立たない。 

 

    外務省では<東大中退>がソンケーされているとか、、

 

そこの色に染める側からすれば、なまじの能力ある新米はかえって厄介。

「取りあえず」出た、くらいのが扱いやすいし、本人もこだわりが無い

から成長が速い、とも言う。 が、

 

それは<育てる>余裕や人情があった頃の話。 <即戦力>を雇っては

使い捨てるこの時代、自分で実力を養い、どこにでも順応し、いつ肩を

叩かれてもたじろがない構えが必要です。

 

 

成蹊大学竹内靖雄教授の説では、「今後、サラリーマンは次の3種類、

 

 1)一人で獲物を追うハンターのように独立して、あるいは企業と

   いう<利潤追求マシン>を操縦して、金儲けの仕事をする人

 2)市場で自分の専門的な能力を売って仕事をする人

 3)市場の需要に応じて、誰にでも出来る仕事を低賃金でする人 」

 

1)のような人を<大学>が作れるはずが無い。 まず素質、次に環境、

そして本人の努力、そして何よりも<運>。 色々備えた人にのみ可能。

 

3)は「低賃金で」と聞くやオコトワリでしょう。 身の程と関係なく

贅沢を望むのが近頃の拝金主義的、物質万能主義的傾向。  従って、

 

フツーの人に残る選択肢は2)だけ。 それは(以前93号で書いた)

<フリーランス>という生き方かも知れませんな。 あなただから、と

見込まれて仕事をする。 素晴らしい! 1)ほどリスキーじゃないし、、

 

*   *

 

「取りあえず」会社に入ったとしても、いつサヨナラにされるか分から

ないのだから、万一の際頼みに出来るのは我がウデだけ。 まあ一種の

個人事業、<自分の看板>を掲げて世渡りする準備、しておかなくちゃ。

 

<マイ商売>だから値付けも自分の匙加減。 そうでもしなくちゃ中流

生活は営めません。 ブランドものも、海外旅行も、マイ・ホームも、、

3)じゃ無理です。

 

しかしそのためのウデ、一朝一夕で磨けるものではない。 相当に集中

を要します。 「取りあえず、」でフラフラしていたら、何も身に着か

ないうちに結構なトシになってしまう、、

 

どんなウデを持つべきか、それをどこでどう磨くか、どう世間に認めて

もらうか、、 この最後の項目が大切。 どんなに能力があろうと人柄

が良かろうと、お客が掴めなかったら2)は成り立たないのですから。

 

そうしたノウ・ハウ、<東大>だって授けません。 「取りあえず、」

卒業証書くれるだけ。 坊や、それ、分かっているのかな?

 

*   *   *

 

技法講師の同僚にも<東大>で<法科>卒というのが何人かいましたが、

ヘンサチが低くても入れた時期があったらしく、ソンケーに値する中身

のはいなかった。 彼らに共通するのは特技保身の術、

 

体力とプライドは平均以上。 だが、ハタラクことにかけては、自発的

意思は無いも同然。 権威には是非も無く服し、「取りあえず」的行動

で応じる。 まあ、上出来のロボット、という感じ。

 

「人間なら<自分の判断>が大切。 それを明確に伝え、説得できなく

ちゃいけません。 Rational Process は人間の基本的思考パターンの

技法、、」と講義する立場の者が<ロボット>じゃねえ、、 と私は

 

首を傾げていたが、何せ教祖が「取りあえず、」採用した連中。 大声

では言えないが、ショーバイの裏側はそんなものです。 彼らと分かれ、

「おたすけマン」を始めた理由、でもありました。

 

「取りあえず、」でないソリューションを求める人が世の中に沢山おり、

一方、ネットを介すればそうしたサービスが容易に出来る。 今はもう

講釈師なんかしている時代じゃない、e−コーチでなくちゃ、、 と。

 

「取りあえず、」考えたことを(断片でも結構)メールして下さるのが

始まり。  やり取りを重ねるに従って Rational Process に適ったもの

になって行きます。 そのパターンが身に着けば、ほかでも応用できる

ようになる。 どこへ出ても、臆せずコミュニケートできるようになる、、

 

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そうならない限り2)は容易に望めない。 3)まで墜ちたくない、と

お思いなら「取りあえず Rational Process」。  <考えずに>どうぞ。

                          ■竹島元一■

 

    ■今週の<私の写真集から>は ★星が降る★

 

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